「白隠禅師 健康法と逸話」
2013年1月の武専講義で、もう少し禅について知っておかなければ金剛禅は語れないと思い、さっそく図書館から「白隠禅師 健康法と逸話」という本を借りて読んだ。
もともと、白隠禅師を知ったのは書作品からだったのだが、その書の批評が面白い。「何もないところから出る無心のはたらきが、いのちのリズムとなって思う存分舞った。この(書の)一点一画は今日ただいまの連続で・・・」(「筆禅道」寺山旦中著 春秋社)どの書を見たって、ある時の連続で作品が仕上がっているのは、当たり前と思う。しかし、あえて「今日ただいまの連続で」と表現しているのは、生きている時間、活性化している時間、集中力の連続で仕上がったということだと思う。本物の作品を見たら、きっとたった今書いたと思わせるのだろう。
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| 「筆禅道」より白隠禅師の書 |
そんな白隠禅師。どんな人物だったかは、書かれている逸話からは十分にその人となりが伝わってくる。ここだけ読んでも価値がある本だと思う。
さて、その本の中で、鎮魂行のときの聖句が出てきた。「正念の力」というの章で、般若心経の句とともに拳禅一如、ダーマ信仰と重なる部分があって、「よくととのえられし自己」が根本であると説明していた。心と霊と肉は相関しているという法則は、金剛禅の易筋経の方法論である。
この本は基本的には健康法の本だけれども、やさしく禅のなんたるかを説いている部分が多い。調息法にも触れていて、これを読んだら鎮魂行も変化すると思う。単に座って打棒を待つのが鎮魂行でないことがわかるはずである。

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